私は
日本人でありながらも
日本が嫌いです
ありのままの日本を
愛せないのは
日本が好きだから
かも知れません
GARNET CROWという
日本のアーティストの歌が
気に入るのは
私が
紛れもない
日本人である証拠に
他なりません
しかし
日本って嫌だなって
思いすること
多々あります
例えば
テレビCM
CMを負担しているのは
番組のスポンサーではなく
視聴者です
CMで宣伝されている
商品には
当然CM費が上乗せされているはず
例えば
マクドナルド
それで
何が言いたいかと言えば
テレビ局が
視聴者本位で
放送していないことです
何かといえば
スポンサーがという
スポンサー本位の体質が
気にくわないのです
出し惜しみするかのように
決定的場面を流さないで
CMを挟む手口は
どの民放も同じ穴のムジナです
では
NHKはといえば
視聴料を市民に負担させて
いるではありませんか
ほんの一部の人しか見ないであろう
野球や大相撲に関心が無い
人々にとっては
高い視聴料でしょう
NHKも
韓国の国営放送局である
KBSにならって
CMで運営すればと
言いたいです
まあ
私の場合
テレビは全く見ませんし
生保だから
NHKの受信料も
免除なので
関係ありませんが
ところで
今日
一番、話したかったことは
日本的な信仰観についてです
私が
統一教会に
入信したときの
責任者が
語っていた
ことについて
今更ながらに
ああ
あれは
日本人にしか
通用しない話だなってことです
彼が
ことある毎に
強調していたことは
どんなに辛くても
寝ているだけでもいいから
とにかく
教会から離れるな
という主張です
つまり
彼の信仰観は
教会組織に帰依していることが
最も肝心なことだというのです
一方
私がお世話になった
韓国の牧師様は
日本人は
信仰を失っても
教会から離れることも出来ない
信者ばかりだと
組織を信仰する
日本の信仰観に
奇異を感じておられました
日本人が怖いと思ったのは
韓国語が流暢に
話せても
日本的な常識を
持ち続ける場合があると言うことです
あるとき
韓国で
母親が我が子に
物をもらったら
有り難うって言わなくちゃだめよ
諭している場面に
遭遇したときのことです
まあ
日本では
これは常識中の常識
でも
韓国では
簡単に
有り難うって
言いません
言葉にすると
その心情が
台無しになるのを
嫌うからです
例えば
こんな話を本で読んだことがあります
日本人男性と結婚した
韓国人女性が
我が子に有り難うって言われたら
何だかとても淋しい思いがした
というのです
話が言いたいことからそれましたので
軌道修正します
先に
有り難うって言いなさいと
韓国語で
話していたお母さん
日本人だったのです
それから
話しておきたいことは
まだまだ、あります
日本の教会には
自由がありません
日常茶飯事から
信仰上の問題やら
家庭問題など
全て
責任者を通して
行動しないと
不信仰だと非難されます
自己判断が出来ないのです
それを
信仰の教理を用いて
巧みに信者を
支配しているのが
日本統一教会の実態です
現在は
家庭連合と名乗っています
また
教祖夫人の問題で
派生した
サンクチュアリ教も
日本の最高責任者が
日本の組織信仰を
問題視しながらも
日本人信者の
組織信仰を利用して
支配しています
自由と責任を
謳い文句にする
日本サンクチュアリ教会ですが
自由をいいことに
ネット右翼になって
散々
韓国を冒涜しています
日本サンクチュアリ教会では
あまり韓国のことを
良く言いません
私は
離婚した時点で
もう
信仰など
どうでもいいことになりました
それでも
まだ
HDPさんが
Tグループに流される前までは
僅かながらにでも
信仰に対して
向き合おうという気持ちが
全く無かったわけではありません
とはいうものの
家族を失った
絶望感を拭い去ることは
出来ませんでした
そして
今日に至っては
昨日も
述べたとおり
私の信仰は
似非信仰だったと気づき
あるがままの
自分で
余生を送りたいと思います
良心は神様に優る
他の為に生きよう
韓国語の普及に役立とう
この3つが
私の人生のテーマです
そして
座右の銘が
人間万事塞翁が馬です
以上で
ヒッチャカめっちゃかな記事になりましたが
この辺で
お開きです