私にとっての学校 小学校4年生まで編

私は

小学校の4年生までは

あまり

目立たない

存在でした

一年生の3学期

病気療養の為

長期にわたって

学校を休んでいました

回復したので

三月一日に

登校することになっていましたが

その日の未明

母が突然死して

更に

学校を休むことになりました

担任のH先生が

私を養子に

引き取るとまで

仰ったそうです

祖父は

賛成しましたが

祖母が

反対しました

理由は

私が

母がいなくても

祖母がいると

言ったことです

私には

そんな記憶ありません

しかし

今思うに

H先生に

育てられなくて

正解だったと思います

H先生

はっきり言って

右翼です

確かに

私も

大学時代は

右翼でしたが

左翼になっている

今現在からすれば

H先生の授業で

教えられた

戦争の話は

美化されたものばかりでした

悪いことは

続くもので

2年生になると

夏の時期に

伝染性膿痂疹(でんせんせいのうかしん)

俗名

とびひと言われる

皮膚病になり

弟にも移して

祖母に

大変

苦労をかけました

小学校1年生の

一学期初日のことです

幼稚園時代は

対立していた

近所の男子と

意気投合して

親の迎えなしで

1キロはある

のりを

自力で帰ることが出来ました

それ以来

小学校では

大の仲良しになりました

4年生までは

クラスにIとOという

いじめっ子がいました

下校の時

道端に

落ちている

犬の糞を

石に付着させて

私にぶつけてきます

そして

みんなして

汚いと言って

一目散に

逃げていきます

親友も守ってくれませんでした

小学校で

一番辛い思い出です

そして

4年生の時です

如何なる理由があったとしても

人を呪えば

かえって

自分が

呪われることを

学びました

仏壇に

IとOに

天罰をと

祈った

翌日

担任のS先生に

通学路で

壁に落書きを

していたことが

見つかって

説教され

雑巾持って

落書き消しを

させられました

話は

前後しますが

H先生には

3年生まで

担任していただきました

3年生の何時だったか

分断で集団登校する途中

私は

自動車に

はねられました

事故の後始末が

杜撰だったため

祖母は

H先生に

抗議しましたが

説得されて

それを

後々まで

愚痴にしてました

4年生の2学期までは

宿題以外は

テスト勉強するでもなし

100点とるなんて

人事でした

でも

ある時

父と祖母から

うちは

貧乏だから

私立の高校に

行かせるだけの

経済的余裕はないので

公立高校に合格できなかったら

働きに出てもらうよと

通達されました

それで

4年生の3学期から

自学自習の毎日となりました

それでも

4年生までは

何かといえば

熱を出し

腎臓も患って

病弱で

学校は

休みがちでした

とここで

突然

病気に関する問題

肝臓と胃を

同時に患うことを

なんというでしょうか

答えは

この記事の文末に

記載しておきます

さて

4年生の担任

S先生は

新人教師でしたが

美人で

長期で休んでいた

私の家に

わざわざ

訪問して下さったことで

我知らずのうちに

気分が

舞い上がってしまいました

S先生は

何かと言えば

いじめっ子たちから

新米のくせに

馬鹿にされていました

S先生との思い出は

体育の授業の時に

遊戯で

手を握ったら

その柔らかさが

胸が躍って

あの感触が

家内と初めて

手を握ったときに

なかったのが

残念でした

S先生は23歳

家内は29歳

6年の差にこんなにも

隔たりがあるものかと

学校で

一番嫌な

時間が

プールの授業でした

水が怖くて

心臓麻痺になるんじゃないかと

取り越し苦労してました

夏になると

下校の時

友達がプールに

行こうというのも

辛かったです

私にとって

学校とは

行って当たり前のところ

でも

内心の50%は

休みたい

けれど

休めば

友達と遊べないという

場所で

何故

学校に行くのか

なんて

考えもしないことでした

本当は

そういう本質的なことを

考えることも

学ばなくては

ならないでしょうが

そんなことしたら

学校なんて意味ないという

生徒も出てくるかも

知れないので

収拾がつかなくなるでしょう

教える側の大人たち本位なのか

教わる側の子供たち本位なのか

義務教育の理念から言えば

当然

後者でしかるべきです

でも

教える側の大人たちに

それだけの力量がないので

現状は

教える側の大人たち本位でしょう

そして

もっと

難しい問題は

教育は

教えるだけではなく

育てなければならない

ということです

教育は

学校だけでなく

家庭も

その役割を

担っています

その意味では

自分の息子を

教育出来なかったので

偉そうなことは

言えません

私は

自由奔放に育ったので

子供も

自由奔放に

育ちました

私が

家内に

唯一自慢できる

韓国語を

教えることが

出来なかったのが

残念です

かえって

私への反発で

息子たちは

韓国を嫌うように

なってしまいました

私は義務教育で

英語よりも

韓国語を

教えるべきだと思っています

根拠といえば

長くなるので

割愛します

そんなことより

息子たちは

人生の本質的な問題について

考えることは

あるのだろうかと

疑問です

楽しければ

それでいいじゃないか

これが

次男の言い分です

本音を言えば

私もそうです

でも

問題は

楽しくない時

どう生きるのか

どう振る舞うのか

どう乗り越えるのか

それが一番の問題です

それに対応できる生き方を

身につけた人が

人生の勝ち組だと思います

家庭でも

学校でも

常に

ここに

焦点を合わせて

教育にあたることが出来たならと

理想論でしょうか

今日はここまでです

文中の問題ですが

これは

実はなぞなぞでして

正解は

いかんぞう

でした