中学生になって
私は
勉強の虫になりました
数学と英語の先生が
とても
分かりやすく
授業をして下さったので
成績も
良く
得意科目になりました
社会の先生も
板書が秀でていて
ノートに
写すのが
楽しかったです
勿論
何で勉強するのか
なんていう
特別な意識は
ありませんでした
数学と英語については
復習は勿論のこと
予習もしていたので
テスト前に
特に準備はしませんでした
国語は
宿題を熟していれば
テストは大丈夫でした
理科と社会だけ
テスト勉強していれば
十分でした
しかし
問題は
実技です
技術・体育・美術などは
いくら頑張っても
クラスの上位には
なれませんでした
音楽に関しては
基本的なことだけを
練習して
普通に熟せば
評定は上々でした
1,2年生の時は
クラスに
いじめっ子は
いませんでしたが
3年生の時は
小学校時代からの
いじめっ子のOと
不良生徒がいて
さんざん
苦い思いをさせられました
そういう私も
小学校の時の
いじめっ子Iを
言葉の暴力で
いじめていたので
当然の報いかも知れません
さて
話は前後しますが
数学に関して
自分に解けない問題は
ないものかのように
私は
見当違いを
していました
東京出版の
「高校への数学」という
月刊誌に
3年生の時に
出会いました
そこに
出題されていた問題は
学校で解いている
問題に比べたら
天と地の差が
ありました
特に
毎月
一題
出題される
宿題が
半端のない
難しい問題でした
日本全国でも
正解者が
たったの2名
という問題も
ありました
数学の先生も
解けませんでした
でも
先生は
分からないことは
分からないと
謙虚に
受け止められたことに
感心したと言ったら
偉そうですが
先生の人間性に
感化されました
そんな頃からでしょうか
まだ
意識の中では
そうでもないのですが
無意識の中では
数学の世界に
傾倒し始めました
とりあえず
公立高校に
進学することが
第一目標でした
でも
父と祖母は
私立高校も
所謂
滑り止めに
受験させてくれました
その高校というのが
テレビで話題の
H先生の母校です
恥ずかしいのは
私の高校は
n_goya市長の
出身校なんです
そして
その高校が
現在の私の人格形成に
基礎作りを
なすことになりました
それが
明日のお話です