私にとっての学校 大学編

私は

数学の研究者になる

という

明確な目的を持って

とある

東京の大学へ

進学しました

親の反対を

押し切ってまでも

しかし

大学のブランド名に

親を説得するに

十分でした

そんな大学に

進学しながら

宗教に奔り

学生運動

学業放棄して

教養課程で

二度の留年と

二度の休学で

大学卒業するのに

八年かかりました

当然

数学の研究者に

なれるはずもなく

挙げ句の果ては

左翼学生の暴力に

屈して

殺されるという

被害妄想にはじまって

やがては

精神分裂病

今で言う、統合失調症

罹ってしまい

入院しながらの

卒業でした

私だけが

卒業できても

未来がなく

周りの学生は

それぞれ

見通しの良い

将来が約束されていました

私は

大学に進学する前

高3の時

その宗教のセミナーに

参加していました

大学入試の一次試験の

模擬テストを受けた

帰り道のバス停付近で

二人組の女性に

アンケートを

申し込まれて

一人の女性が

綺麗だったこともあって

アンケートに答えた後

彼女たちのアジトに

案内されました

その時受けた

キリスト教の講義に

少々

感銘を受けて

学校サボって

ワンデイセミナーに

参加することになりました

最初に受けた

講義に比べると

理解に苦しむ話の

オンパレードで

高校生の時は

それっきりでした

大学入学して

まもなく

オリエンテーション

ありました

そこで

その宗教が

悪の権化で

学生をオルグしては

洗脳して

韓国のKCIA

スパイにされる

ところだと

先輩から聞きました

ところが

オリエンテーション自体が

日本共産党の傘下

民青同盟の意向に

沿ったものである

ということを

その宗教で

知りました

日本という国が

自民党政権

国家権力で支配されているように

私の大学は

日本共産党・民青同盟が

主導権を握る

自治会権力に

支配されていました

入学手続きの時

任意の筈の自治会費を

自治会の実態を

知らないことをいいことに

2万円支払わされました

 

大学で得た

知識は

韓国語と

片言のフランス語と

数学のε-δ論法くらいで

それ以外では

宗教理念だけです

病気になって

幸いだったかも知れません

何故なら

自分の信仰が

実は

信仰でなかったからです

それに気付いたのは

病気になったお陰です

これに関しても

やはり

たらればになります

韓国語が出来ると言っても

セイゼイ

日常会話くらいで

韓国ドラマ

日本でみたら

字幕に頼らないと

100%は

分かりません

たとえ

字幕があったとしても

韓国語として理解しなければ

日本語では

理解できない

文化的な問題があります

日本で育ったので

いくら

韓国が好きだと言っても

所詮は

韓国人にすれば

一日本人に過ぎません

それに

今は

日本のこと

悪くほざいている

私は

生活保護という

国のお世話になっている

身分なので

あまり大きな口を

たたくことは出来ません

しかし 

日本の共産化を

防ぐために

青春の全てを

捧げた

代償と考えれば

反日でも

良心の呵責は

薄れます

それに

私は

日本の教会組織に

殺されたとも

思っています

いつか

それについては

お話しすることも

あるでしょうから

今日の話からは

割愛します

残念でならないのは

無恥であって

かつ無知であったことです

今なお

視野が狭いのに

大学当時は

話にならないほど

視野が狭かったのです

まあ

数学の研究者になっていたら

やはり

専門バカの

世間知らずだったでしょう

ブランド大学卒業してても

無職の私をみて

息子たちが

勉強に意味を

見いだすことが出来なかったのも

当然と言えば

当然でしょう

最後に一言

私にとっての大学とは

人間を馬鹿にする

空間だと考えます

少なくとも

私の出身大学だけは

そう言わざるを得ません