外国人とのコミュニケーション

 

今週のお題「激レア体験」

私の操る言語は

日本語>名古屋弁>韓国語

>英語>フランス語≒中国語

>沖縄弁

この順番で

後になるほど

レベルダウンの度合いが

大きくなります

私は

中学生の時

自慢をするようで

おこがましいですが

英語の成績は

学年一でした

けれども

実践では

全く

英語が話せませんでした

友人に

神父さんの

息子がいて

教会に

遊びに行った時のことです

アメリカ人の日本宣教師さんを

前にして

一言も

話せませんでした

とんだ

大恥をかきました

アメリカ人と

日本語以外で

コミュニケーションを

とれたのは

英語ではなく

韓国語でした

訪問販売の経験が

生かされて

兎に角

自分を売ることを

覚えたので

韓国語であろうが

英語であろうが

間違ってても

いいから

話すことが

出来るようになりました

何年か前

施設に

フランス美人が

来た時も

臆せず

英語で

色々

コミュニケーションできました

でも

韓国語を勉強して

初めて

実践で

コミュニケーション出来た時が

一番嬉しかったです

今から

凡そ

35年前の話です

勿論

韓国語で

アメリカ人と

会話できたことも

私にとっての

激レア体験です

韓国語については

六回の入院体験のうちで

12年前の入院の時

綺麗な奥様に

韓国語を

教えていたのも

結構レアな体験でした

その入院先こそが

今のかかりつけの病院です

入院時

沖縄出身の

看護師さん、看護学生さん、ヘルパーさんに

沖縄弁を教えていただきました

この病院に

入院中

私にとっての激レア体験が

もう一つあります

それは

ある一人の綺麗な看護師さんとの

ことです

ある日の

 

真夜中

不眠時の頓服を

ナースステーションまで

もらいに行った帰りのことです

家内にさえ

してもらったことのない

腕組みをして

部屋まで

付き添って下さいました

残念ながら

もうその方は

転職されてしまいました

その理由が

今日の落ち

看護師が

天職だったから