私の故郷 後編

一日過ぎて

書こうとしていたことに

何かしら

おこがましさを

感じて

かなり

はしよって

書いていきます

生まれたのは

岐阜ですが

育ったのは

名古屋市内で

二階建ての

木造でぼろ家でした(現在はここに高級マンションが建ってます)

いまでも

夢で見るのは

そのぼろ家です

18年間過ごして

東京に

10年住みました

その後

名古屋に戻り

1年後に

結婚して

二人目の子供が

家内のお腹にいる時

県営住宅に

引っ越しました

22年住んで

家内と息子に

家から

追い出され

紆余曲折あって

グループホームにいます

さて

私の故郷のことで

韓国とのつながりも

書きたかったのですが

上述の通り

おこがましいので止めます

新羅百済高句麗について

韓国の歴史は

新羅が大半

主権を握っていて

百済

常に

虐げられた存在でした

その構図が

現代に至っても

続いていて

新羅慶尚道

百済全羅道

慶尚道出身の大統領が

多いです

そういう意味で

金大中氏は

全羅道出身で

慶尚道出身の方からも

先生と呼ばれる

人格者でした

地域感情が

激しく

しばし

全羅道出身の方は

他の地域出身の方から

敬遠されます

一方

全羅道出身の方は

慶尚道出身の方を

嫌う傾向が

あるようです

その地域感情が

歌謡界にも

影響していて

慶尚道は羅勲児

全羅道は南珍

二派に別れます

日本的なのは

全羅道です

私が好きなのは

反日的なので

慶尚道です

実際

南珍よりも

羅勲児が好きです

日本でも

有名な趙容弼は

殆ど聴きません

ただ

5年前に

施設で知り合った

韓国人と日本人のハーフであった

Kさんが趙容弼の

帰らざる河という歌が

好きで

よく歌っていました

その影響で

私もこの歌が

好きになりました

私は1羽の鳥になったんだね

という最後のフレーズが

好きなんです