途中ブランクがあるもののマージャン歴41年

今週のお題「やり込んだゲーム」

本題に

触れる前に

今日の出来事を

書き残しておきたいと

思います

それは

恩を仇で返すの

正反対で

仇を恩で返してもらう

ということがありました

私は

J君に

彼の持ち物

例えば

たばこやライター

大きなものでは

リュックサックを

彼がいない間に

隠してしまうという

イタズラをします

それを

今日

和室で

横になっていた時

ズボンのポケットから

スマホが飛び出してしまったのを

気付かずに

その場を立ち去ってしまいました

それを

J君が見つけてくれて

Y先生に預かってもらい

私のもとに

無事返って来るという

出来事がありました

前置きが

少々長くなりましたが

ここからが本題です

マージャンを覚えたのは

高校2年生の時でした

その頃

しばしば

友達の家に

泊まって

トランプをしていたのですが

ある時から

マージャンに代わりました

最初に

覚えて

よく目指した役は

三元牌風牌

ポンするノミ手は

言うまでもなく

ホンイツ清一色です

次第に

平和、タンヤオ一気通貫など

レパートリーが増えました

そんな私の闘牌を

後ろで見ていた

友達から

散々馬鹿にされました

それに

親のリーチに対して

まだ

リャンシャンテン

サンシャンテンでも

平気で

切っていくのを

そばで見ていた

先輩が

そんなにいい手が

来てるのかと

言われ

実は

ノミ手だという

有様でした

四暗刻単騎に

振り込んで

すぐさまその後に

四暗刻単騎を

聴牌するものの

三面聴の安めになる

自模・三暗刻

あがってしまうという

今思えば

本当に

お粗末な

麻雀やっていました

高校3年生の時は

入試の願掛けに

マージャンは

しませんでした

大学に入学して

直ぐに

クラスメートや

クラスの縦割りの

一年先輩などと

よくマージャンをしました

大学でのマージャンは

名古屋のローカルルールである

完全先付けマージャンとは

正反対で

喰いタンに始まって

後付け・フリテンリーチ

片上がりなど

最初は

慣れるまで

時間がかかりました

そうしている間に

私は

宗教に走り

俗世界とは

まるっきり

縁のない毎日を

過ごすことになりました

その後

ゲームセンターや

茶店

ジャンピューターを

よくやりました

教会の所属が

韓日人教会になって

韓国の牧師さんに

かわると

礼拝が終わった後

食事を済ませて

マージャンしました

息子たちが

中学3年生と

1年生になると

私が

マージャン牌と

卓になる

炬燵を買って

3人で

マージャンをよくやりました

それから

マージャンと言えば

精神病院に入院している時も

よくやりました

また

パソコンをやるようになってからは

AI相手によくやりました

今では

やっと

初歩者の領域から

レベルアップして

スポーツ紙に

出題されている

次何を切るの

問題も

8割くらいは

正解できるまでになりました

まあ

マージャンを

凌ぐゲームは

先にも後にも

存在しないでしょう