今日は家内の誕生日

今は

もう

他人の関係である

家内の誕生日

満62歳

私は

来月で

58歳

4歳も

離れています

所帯を持つ前の

交際期間は

妹のように

思っていました

彼女から

届いた

手紙を

後輩のF君に

読まれて

幼稚って

貶されました

しかし

所帯を持ってからは

常に

主導権を

握られて

小さくなっていました

もしとか

たらとか

ればを言っても

しょうがないですが

でも

言いたくなるのが

人情です

もしも

病気になっていなかったら

教会の幹部になって

アメリカに

留学して

というのが

同輩のパターンから

想像つきます

しかし

現状として

3つに分裂した

教派のいずれに

所属していたことでしょう

今は

形式的には

サンクチュアリ教会に

所属となって

いますが

実質的には

いずれにも

属さない立場を

とっています

所詮

下劣な私にとって

信仰とか

希望とか

愛とかという

世界は

相容れないものだったのです

ドラゴンズの優勝を

切に祈るような

心情よりも

篤く

世界平和を

祈れたかというと

話にもなりません

情欲の思いをもって

女性を見たら

既に姦淫を

犯したのであるなんて

エス様のみ言葉

守れる人なんて

いるの?

信仰は

茨の道です

弱いものが

宗教に

染まるという人も

いますが

それは

見当違いです

強靭な意志力

強靭な体力

即ち

心身ともに

滅茶苦茶

強くなかったら

やっていけません

さらには

そんな人は

逆境の中で

信仰を育てますが

誘惑に脆い場合が

多いです

また

霊感が研ぎ澄まされると

悪霊との闘いが

始まります

私がそうでした

統合失調症の始まりは

悪霊に

体を乗っ取られて

一晩中

暴れるのを

3人がかりで

抑えられていたことです

凡人には

霊感が働かない方が

身のためです

神体験も

そうです

神体験して

信仰者のように

なった気分になるのは

落とし穴に

はまる

原因になります

O教がいい例です

O教が

初めから

悪であったとは

私には

考えられません

優秀な若者たちを

魅了するだけの

何か善なることが

あったからこそ

膨大な組織になりえたのでしょう

まあ

お蔭で

宗教のイメージが

断然悪くなったのは事実です

でも

私は宗教は必要だと思います

でも

宗教は

全ての宗教をなくす

世界を創建するものだと

考えています

まあ

偉そうに

宗教の事

語れるほどの器がない

私が言っても

説得力は

皆無に等しいのですが

最後に

家内と知り合ったのは

1988年10月29日の

夜の9時くらいだったと思います

韓国の龍仁という場所にある

教会が元締めとなる

ジュース工場で

翌朝が

いわゆる

合同結婚式(世間では集団結婚と言われてます)でした

出会った頃は

本当に

仲睦まじい

関係でした

約6か月続いた

恋愛関係が

病気のせいで

崩れ去りました

家内と別れて

もう4年近くなります

私の好きな

ある韓国歌謡の一節に

出会いは

いつも

別れを残し

別れは

いつも

淋しさを

残すね

本当に

その通りだと思います

さて

少々

話が長くなりまして

最後まで

読んでくださって

ありがとうございます