今週のお題「眠れないときにすること」
私は
1989年5月に
罹患して
ごく
最近まで
不眠に
悩んできました
時には
大量の睡眠薬を
飲むこともありました
それでも
なおかつ
眠れないということも
ありました
父からは
暗示にかかっているだけだと
他人事のように
あしらわれました
大量の睡眠薬を
飲んでも
眠れなかった時
歩行障害という
副作用は
しっかりと
あらわれました
離婚する前
家内から
眠れないって
気のせいよ
あんなに
うるさいイビキかいてたじゃない
と非難されました
そんな私のイビキのせいか
はたまた
職場での
複雑な人間関係のせいか
家内まで
不眠症になっていたみたいです
家内が
不眠についての
本を読んでいるの知って
それに気が付きました
かかりつけの
病院を転々と
しましたが
今の病院になって
3人目の主治医先生に
なり
それまで
処方されていた
薬を
減らすことになりました
その話を
主治医先生から
切り出された時
私は耳を疑いました
先生に反論しましたが
渋々
承諾することになりました
今の主治医先生は
全く眠れない日が
ありますと
訴えても
聞き流すだけで
ただ
そういうサイクルに
なっているから
ですよと
仰いました
しかし
そんな時
転機が訪れます
スタフォード式
最高の睡眠という
本との出会いです
その中で
最も
心に
響いた言葉は
不眠は朝から始まっている
というものでした
睡眠と覚醒は
表裏一体で
朝の寝覚めの悪さが
夜の寝つきの悪さに
つながるということです
その言葉で
私は
どんなに眠れない夜でも
朝は
ぐずぐず
布団にもぐってないで
早朝に
散歩することにしました
それから
その本で
目から鱗が落ちたのは
何時間眠れたかという
睡眠時間の長さより
どれほど
質のいい
睡眠をとれたかが
重要である
という話です
今でも
ついつい
何時間眠れたか
ということで
眠りの評価を
してしまいますが
今は
確かに
睡眠薬を
飲んでいますが
かつての
1割くらいの
睡眠薬で
眠れるようになりました
それで
ここからが
今日のお話のクライマックスです
私が
眠れない時に
どうしているかに
ついてです
ズバリ
眠ろうとしないことです
眠れない時というのは
大抵
眠気がない場合ですよね
勿論
眠たいのに
眠れないというのは
私の経験則には
ありませんが
それでも
眠たいのに
眠れそうにない
思いに陥った時
やはり
眠ろうせずにいます
食欲がない時に
食がすすまないように
眠欲がない時
眠れないのは
当たり前ということに
今の私は
帰結しました
だから
眠れない時
眠ろうとせず
寧ろ
眠らないようにと
瞳を開けたまま
GarnetCrowを
聴きながら
横になっていると
自然に
眠りに陥るように
なりました
ストレスの多い
現代社会では
少なからずの
方々が
不眠に悩んで
おられると思います
仕事上
睡眠薬を用いることの
出来ない方も
いらっしゃるでしょう
私の睡眠術は
眠れない時は
趣味でもしながら
眠れないことを
これ幸いにと
楽しい時間に
することが
いいのではと
思います
攻撃は最大の防御
と言いますが
覚醒は最大の睡眠法とも
言えるのでは
ないでしょうか
布団やベッドが
不眠の辛さに
浸る場所になっては
いけません
眠れないのであれば
眠くなるまで
起きてましょう
というのは
少々
極論になりますが
起きてなくても
横になって
瞳を閉じて
安静にしていれば
仮に
眠れなかったとしても
十分とは
言えないものの
徹夜マージャンするよりは
ずっと
体が休息している
時間になっていると
施設のベテラン看護師さんから
伺いました
また
睡眠の場合
個人差があるので
100%
ここで
述べた私の考えが
正しいとは
言えませんが
眠れないなら
眠れなくてもいいんだと
悟った今
以前は
眠れないかもしれないという
夜が恐怖だったのが
恐怖から
完全に
解放されました
最後に
繰り返し
念を押すようですが
眠れない時は
眠ろうとしないことです
もう一つだけ
書き加えると
眠れない時
羊が一匹
羊が二匹と
数えなさいという
話を聞いたことがあると
思いますが
これって
不眠に逆効果だという
不眠症の専門家が
います
羊は
英語で
シープ
ただひたすら
シープ、シープ、シープと
唱える方が
効果的だそうです
シープ≒スリープ(眠り)と
暗示にかけるからでは
ないでしょうか
今日は
久しぶりに
長くなりましたが
最後まで
読んでくださって
有難うございました