今週のお題「叫びたい!」
大学時代
宗教の道に
入って
学業放棄して
ひたすら
宗教団体の
活動で
毎日が
明け暮れていました
リーダーたちは
構成員に
知識を得ること
考えること
独自で判断することを
嫌い
教会関連以外の
文献を読むことを
よしとしませんでした
民は愚かに保て
とは
権力を持つものが
民を支配するに
あたっての
常套手段です
まさしく
私の属していた
教団がそうでした
今に至って
それに気が付いた時は
既に
時遅しでした
特に
日本の教団が
いちじるしく
教団外部との
接触や
教団内部でも
横のつながりに
否定的で
日本社会の
縮図のような
タテの関係を
生命視する
日本でも
最も
日本的な
集団です
個は
和によって
否定され
滅私奉公を
強要されました
しかし
強要されている側にとって
教団上部は
教会教理によって
巧みに正当化され
盲目的に
責任者の指示に
従うことを
信仰とされていましたから
これについて
疑問に思うことさえ
不信仰のレッテルを
貼られるので
一般の教会信者さんには
自分たちが
自由な信仰を
妨げられているという
自覚が皆無です
しかしながら
問題は
支配されている
一般信者さん側にも
深刻な問題が
あります
いわゆる
指示待ち族という
ことです
指示を仰がないと
何をしていいのやら
全く分からない
自由に
不自由を感じている
場合が多いのです
私は
入信初期
この問題で
リーダーから
徹底的に
否定されました
我が強いのが
あなたの欠点だと
無我になりなさい
しかし
無我にはなり切れませんでした
日本的な
縦割り組織に
疑問を抱き
解決したのは
韓国の信仰を
知ってからです
私が求めていたものが
韓国にあったのです
さて
教会では
韓国を父の国
日本を母の国としていますが
実際は
韓国が父母の国で
日本は
韓国の伝統文化と言語を
世界化する使命を持った
疑似母の国と言った方が
いいのではというのは
私の個人的な意見です
教祖様の指令の下
20世紀末より
韓国から
沢山の牧師様が
日本に来られました
しかし
ほとんどの韓国牧師様は
日本に同化することを
余儀なくされました
日本の信者は
リーダーたちを含めて
まずは
日本語を覚えることから
始まって
日本的信仰に同化しないと
韓国の牧師さんたちを
受け入れなかったからです
ここからは
私の個人的な見方ですが
最初に
日本に同化されたのは
韓国人と言っても
どちらかというと
日本的な
全羅道系の方です
それとは
反対に
日本に同化することを
否定した
韓国では
全羅道とは
対立的な
慶尚道出身の
牧師さんたちです
日本で
既得権を持っていたのが
全羅道の牧師さんたちで
日本に同化しない
慶尚道の牧師さんたちを
日本の過疎地に
人事異動させました
この
古代歴史の
遡ります
日本と言えば
百済系の渡来人の
影響を強く受けた国なので
全羅道の牧師さんとは
比較的うまくやれたのでは
と思います
さて
長くなりましたが
今日は
まだまだ
終われません
日本の子女教育を
担当していた
先輩指導者の
講義を聴いて
唖然としたことがありました
子女教育をする場合
条件的な
父の愛が主体か
無条件の
母の愛が主体か
という
問題について
母の愛が
主体だと
言い切った
その先輩の一言に
うぉぉぉ!
教会の最も基本的な
経典は
人間の成長期間は
「原理結果主管圏」
と規定されています
これを
真っ向から
否定する
日本的な教育観
つまり
母性が主体で
父性が客体とするものです
もはや
教祖様は
この世におらず
教祖婦人が
自らを
神格化している
教団には
留まることはできず
かといって
分派した
教団は
日本では
まだ
元の教団の方が
マシに思えてくるほど
嫌韓論者が多く
日本の総責任者も
すこぶる日本的リーダーで
ついていけません
私を分派に誘った
韓国の牧師さんと言えば
知らぬ間に
新たな分派を
形成して
私を誘い込もうとしました
今は
教祖様が
晩年語られた御言葉で
良心は師にまさり
父母にまさり
神にまさる
という訓示が
唯一の生きる拠り所です
長話に
最後まで
付き合ってくださって
ありがとうございました