労働価値説より心情価値説

フリーに

働くのであれば

時間給で

働くこと自体に

価値を求めるのではなく

働くことを

通して

どれほど

喜びを得ることができたのか

あるいは

満足感を

得ることができたのかという

心情に

価値を求める

働き方が

したいものですね

ここから

話が代わります

社会に出て

労働することが

働くことだと

考える傾向がありますが

社会へ出ずとも

家事をこなすことも

立派な労働だと思います

寧ろ

最高の労働ではないかとも

思います

家事は

さ行です

即ち

さ=さいほう

し=しつけ

す=すいじ

せ=せんたく

そ=そうじ

かつて

女性たちは

炊飯器とか

洗濯機などという

文明の利器もなしに

これらを

こなしていました

女性には

こんなに大変な

仕事を

こなせるだけの

ポテンシャルがあるからこそ

社会へ出ても

男性を凌駕するほど

活躍できるのだと

思います

家事に従事する

女性に対する

社会的評価を

もっと

高める必要があると思います

女性が

さ行をしたくなるような

社会作りが

理想論では

ありますが

これは

老いぼれ爺の

戯言でしょうか

家族のため

必死に働いている

夫が

ある日突然

妻から

離婚話を

切り出されること

最近よく

ありがちな

パターンみたいです

夫にすれば

妻の勝手な話となるのでしょうが

働くことができていたのは

妻のおかげでもあったことを

忘れてはいませんか

ということです

私の場合

働くのは

家内で

私は

専ら洗濯と炊事が

責任分担でした

しかし

ちょっと

違うのは

私の家事は

半人前で

家内は

その気になれば

仕事と家事を

兼業できる

スーパーウーマンでした

離婚する

随分以前から

そう約10年は

寝床は別の部屋で

家庭内離婚の

状態でした

教会の分派に

加わったことを

言い訳にしての

離婚劇でした

これは

私にとって

不幸でもありますが

幸いしたこともあります

それは

妻子に束縛されず

自由に

毎日を

過ごすことが

出来るようになったからです

グループホームでは

起床・就寝・外出時間の規定は

あるものの

それ以外は

全て自由です

残念なのは

もう

そんなに

若くはないということです

でも

思い残すことは

ありません

この世には

既に

未練はありません

唯一の願望は

人様の迷惑になるような

人生の終わり方が

ないように

ということです