私の精神病歴 結婚生活編 Part2

まだまだ

信仰している

つもりになっていた

1996年

韓国で

特別な祈祷を

授かって

病気は治ると

思い込みました

それで

一気に

大量に

服用していた

薬を全部

止めました

最初の1,2週間は

辛かったけれども

その峠を

乗り越えたら

楽になり

病気の症状が

全て消え去りました

不眠

動悸

イライラ

妄想などで

苦しんだのは

ウソのようでした

丁度

その年に

二人目の息子が

生まれました

最初の息子で

赤子の対応に

慣れていたので

初めて

こんなに

子供が可愛いものなのかと

実感しました

そういう息子に

癒されたのも

私の病気に

良い影響を

与えてくれたことも

事実です

そうして

1年間

家庭教師のアルバイトを

楽しく

勤めることもできました

20世紀を

向精神薬

服用せずに

乗り越えることが出来ました

21世紀を迎え

パソコンで

インターネットを

するようになってから

事態は

急変することになります

当時

流行っていた

ファイル交換サイトに

入り浸り

3日3晩徹夜した

結果

雷に撃たれる

夢を見て

暴れました

すると

みるみるうちに

容体が悪化して

薬漬けの生活に

逆戻りです

そして

更に

入院という

拍車がかかりました

3度目の入院です

2度目の入院生活よりは

よほど

マシな方でしたが

病棟のスタッフが

人手不足で

朝昼晩の食事

朝昼晩寝る前の薬

一日7回も

長蛇の列を

並ばなければ

なりませんでした

それが

私にとって

どうにも我慢がならないことで

十分

症状が良くならない前に

退院してしまいました

通常通っていた

クリニックの先生には

叱られました

それでも

なんとか

持ち直して

5年の月日が

流れました

そして

迎えた

2008年

再び

病状が

悪化して

現在の病院に

入院することになりました

看護師の癖に

というか

看護師の故に

というか

家内は

精神病に

偏見を持っており

知り合いが

勤めている

病院だから

遠くの病院を

紹介してもらうように

命ぜられました

しかし

保証人もなしで

私ひとりで

受診したために

クリニックの先生に

せっかく

紹介状を書いてもらったにもかかわらず

玄関払いにされました

その日の夕方

クリニックの先生から

電話があって

もはや

現在の病院しか

頼る当てはないことを

家内に納得させてくださって

人生初めて

まともな病院に

入院することが

できました

根は強いのでしょうが

看護師さんたちは

みな

優しく

不穏になると

必ず

話し相手になって

下さいました

2回目の病院と違って

スタッフが

沢山いました

それで

食事にせよ

薬にせよ

待たずに

もらうことが

できるのも

幸いでした

明日は

離婚までのあらましを

書きます