文鮮明師と私 Part.3

文鮮明師を

エスキリストの再来である

メシアと知った

私の人生に

大転換が

起きました

あれほど

好きだった

数学の勉強を

そっちのけで

教会教理の

より深い内容について

学びます

そして

気が付いたら

共産主義

闘うのが

ルーティンになりました

それ故

全くでは

ありませんが

経済活動は

免除されていました

まだ

まともな経済活動と

言えば

珍味の訪問販売です

しかし

収益率が

悪いということで

慈善団体を装った

インチキ募金が

主流となりました

当然

良心の呵責があります

でも

神様の為なら

噓をついても

かまわないという

風潮が

教会内に

漂っていました

でも

私が思慕した

Yお姉さんは

ただ

これを買っていただきに

来ましたというだけで

不思議と

たくさん売れるのです

一切

嘘は言ってません

しかし

私と言えば

責任者から

強制されるので

仕方なく

大変な違和感を

覚えながら

売っていました

さて

お金の話については

これくらいにしておいて

反共活動について

話を戻したいと思います

暴力対策の為

原理研では

韓国の安氏に

代々伝わった

正道術という

武術を身に着けます

もともと

腕力には

自信のない

私でしたから

左翼の暴力よりも

武術の修練で

組み手をやる方が

ずっと

苦痛であり

恐怖であり

茨の道でした

左翼の中に

一人だけ

抵抗しないとみるや

半殺しにされる

メンバーもいました

それが

問題になった時

私の放った

正拳一発が

その暴力学生の

前歯を

へし折ったのでした

でも

そんなこと

断固とした

信仰を動機とするではなしに

義務感使命感で

やっていたので

時が経つにつれて

はったりが

効かなくなりました

それでも

大学の長期休暇には

韓国で武闘修練があり

日本と違って

一切組手をやらなかったので

修練は楽だし

韓国語が出来たので

休み時間は

韓国の女子学生と

交流することができて

とても

楽しい時間を

過ごせました

そんな頃から

合同結婚式の相手は

韓国の女性が

いい

それ以外には

考えられないとまで

思うようになりました

原理研の先輩で

韓国女性と

結婚したかたより

自慢になりますが

私の方が

韓国語の実力は上でした

その上をいったのが

Tさんでした

私は

教養課程のキャンパスが

活動の本拠地なので

2年留年&2年休学という

完全に

学業放棄でしたが

韓国語のゼミだけは

Tさんと一緒に

参加しました

今日は

最後に

原理研のメンバーになり

8年かけての

卒業に

統合失調症が絡んできたことを

述べて

お仕舞にします

その間

合同結婚式

伴侶を得ますが

それは

明日以降です

先にも

述べた通り

私には

腕力に自信なく

感謝して

殉教の道ではなく

単なる

使命感での

殉教なので

意味がないのです

大学の研究室で

イスラムの留学生さんに

I must die for Godと言ったら

それは意味ないですと

指摘されました

I want to die for Godと言ったら

それなら

話が分かるということでした

さて

そんな頃

暴力学生とのことが

トラウマになって

キャンパスに

足を踏み込むことさえ

殺されるかもしれないという

恐怖心でいっぱい

左翼学生も教養課程を

本拠地にしていたので

専門課程のキャンパスには

ほぼ

姿を見せません

統合失調症

発生する直前は

毎朝

原理研のアジトから

逃げるようにして

専門課程のキャンパスへ行き

ベンチで

うたた寝

日課でした

教養課程で

ろくすっぽ

勉強してないので

専門課程の授業が

分かりっこありません

必然的に

授業は

Sleeping Time

そんなある時

韓国の牧師さんから

いままでに

聞いたこともないような

深い信仰の話を聴いて

鬱から操になってしまいました

最終的には

夜中に暴れて

男性3人がかりで

押さえつけられて

気が付けば

教会病院でした

そこでの話は

長くなるので

割愛です

Part.4につづく