文鮮明師を
イエスキリストの再来である
メシアと知った
私の人生に
大転換が
起きました
あれほど
好きだった
数学の勉強を
そっちのけで
教会教理の
より深い内容について
学びます
そして
気が付いたら
共産主義と
闘うのが
ルーティンになりました
それ故
全くでは
ありませんが
経済活動は
免除されていました
まだ
まともな経済活動と
言えば
珍味の訪問販売です
しかし
収益率が
悪いということで
慈善団体を装った
インチキ募金が
主流となりました
当然
良心の呵責があります
でも
神様の為なら
噓をついても
かまわないという
風潮が
教会内に
漂っていました
でも
私が思慕した
Yお姉さんは
ただ
これを買っていただきに
来ましたというだけで
不思議と
たくさん売れるのです
一切
嘘は言ってません
しかし
私と言えば
責任者から
強制されるので
仕方なく
大変な違和感を
覚えながら
売っていました
さて
お金の話については
これくらいにしておいて
反共活動について
話を戻したいと思います
暴力対策の為
原理研では
韓国の安氏に
代々伝わった
正道術という
武術を身に着けます
もともと
腕力には
自信のない
私でしたから
左翼の暴力よりも
武術の修練で
組み手をやる方が
ずっと
苦痛であり
恐怖であり
茨の道でした
左翼の中に
一人だけ
抵抗しないとみるや
半殺しにされる
メンバーもいました
それが
問題になった時
私の放った
正拳一発が
その暴力学生の
前歯を
へし折ったのでした
でも
そんなこと
断固とした
信仰を動機とするではなしに
義務感使命感で
やっていたので
時が経つにつれて
はったりが
効かなくなりました
それでも
大学の長期休暇には
韓国で武闘修練があり
日本と違って
一切組手をやらなかったので
修練は楽だし
韓国語が出来たので
休み時間は
韓国の女子学生と
交流することができて
とても
楽しい時間を
過ごせました
そんな頃から
合同結婚式の相手は
韓国の女性が
いい
否
それ以外には
考えられないとまで
思うようになりました
原理研の先輩で
韓国女性と
結婚したかたより
自慢になりますが
私の方が
韓国語の実力は上でした
その上をいったのが
Tさんでした
私は
教養課程のキャンパスが
活動の本拠地なので
2年留年&2年休学という
完全に
学業放棄でしたが
韓国語のゼミだけは
Tさんと一緒に
参加しました
今日は
最後に
原理研のメンバーになり
8年かけての
卒業に
統合失調症が絡んできたことを
述べて
お仕舞にします
その間
伴侶を得ますが
それは
明日以降です
先にも
述べた通り
私には
腕力に自信なく
感謝して
殉教の道ではなく
単なる
使命感での
殉教なので
意味がないのです
大学の研究室で
イスラムの留学生さんに
I must die for Godと言ったら
それは意味ないですと
指摘されました
I want to die for Godと言ったら
それなら
話が分かるということでした
さて
そんな頃
暴力学生とのことが
トラウマになって
キャンパスに
足を踏み込むことさえ
殺されるかもしれないという
恐怖心でいっぱい
左翼学生も教養課程を
本拠地にしていたので
専門課程のキャンパスには
ほぼ
姿を見せません
発生する直前は
毎朝
原理研のアジトから
逃げるようにして
専門課程のキャンパスへ行き
ベンチで
うたた寝が
日課でした
教養課程で
ろくすっぽ
勉強してないので
専門課程の授業が
分かりっこありません
必然的に
授業は
Sleeping Time
そんなある時
韓国の牧師さんから
いままでに
聞いたこともないような
深い信仰の話を聴いて
鬱から操になってしまいました
最終的には
夜中に暴れて
男性3人がかりで
押さえつけられて
気が付けば
教会病院でした
そこでの話は
長くなるので
割愛です
Part.4につづく