主体性と中心性

今日は

あくまでも

単なる

私の個人的な

考えを

述べていきます

絶対に正しいとは

言いません

というこで

以下に

私の主張を

述べていきます

日本統一教会

最も

重要視されるのが

中心性です

さて

中心とは

円が回転するのに

一つだけ

存在してこそ

初めて

上手く

回転するのは

当たり前のことです

しかし

日本統一教会には

中心が

いくつも

存在します

中間管理職は

全て

中心に該当します

班長

支部

教会長

教域長

教区長

婦人部長

会長

総会長

以上が

全て

中心と呼ばれる

責任者です

責任者が

絶対で

個人の主体性は

ほぼほぼ

認められません

従って

個人には

自由がありません

ということは

当然

個人には

責任がないということに

なります

その点が

非常に

曖昧になっていて

経済活動や

布教活動において

個々人に

実績が追及されます

しかし

統一教会

経典である

原理講論には

自由と責任と実績は

どれ一つ欠けても

成立しないことが

明文化されています

中心性の名の下に

個人の信仰の自由が

奪われています

つまりは

個人が

主体的に

考え

信じ

自らの責任によって

行動することが

中心性の否定と

なっているのです

経済活動や

布教活動は

勿論

あらゆる

教会活動は

自由意思によって

行われているものでは

ありません

また

責任者を

批判することも

タブーです

中心性の否定に

なるからです

理想世界実現の名目で

行われる

経済活動

即ち

霊感商法

稼いだ

少なからず資金が

教会幹部の生活費に

なっていることを

問題視する

信者は皆無です

勿論

霊感商法

実行される

手法は

許されるものでは

ありませんが

100%

理想世界実現の為に

使われているのなら

まだ

救いようが

あるというものでしょう

統一教会の基本理念は

自ら犠牲になって

世界を救うということです

霊感商法

社会に犠牲になってもらって

自らが

発展しようと

いうものです

つまり

基本理念と

真逆な行為に

他なりません

しかし

そんな発言は

教会内部では

黙殺されてしまいます

さて

経済活動も

布教活動も

そして

そもそも

信仰さえも

出来る人だけ

或いは

やりたい人だけ

やればいいのです

日本信者への

殺し文句は

責任者に背いたら

中心性に反したら

活動しなかったら

信仰しなかったら

地獄に堕ちる

です

この巧妙な

マインドコントロール

解かなかったら

日本信者の救いは

ないでしょう

その為には

中心性の信仰から

主体性の信仰に

転換されることだと

私は思います