三月一日は
韓国で
日帝支配時代に
独立運動が
行われた日です
韓国の国旗である
太極旗を掲げ
独立万歳を唱える
韓国の民衆
非武装でおこなわられた
平和的な運動を
日帝は
武力で鎮圧したのでした
この3.1独立運動というのは
実は二回あって
最初が
新暦の1919年三月一日に
ソウル市内にある
パゴダ公園で
独立宣言文が
唱えられて始まったものです
二度目は
柳寛順女史が
同年の旧暦の三月一日に
行われたものです
日本では
万歳事件などと
矮小化して
認識している群れも
ありますが
私は
これを
アジアで初の
帝国主義からの
独立運動として
評価すべきだと思います
そうはいっても
それほど
知識があるわけでは
ありませんので
大きなことは
いえませんが
親韓派の私としては
三月一日独立運動を
大いに
評価したいです
さて
そんな三月一日は
私の母と祖父の命日です
母が1971年
祖父が1973年
私が
まだ
小学校の低学年の時のことです
人間は死んだら
燃やされてしまうのか
それだけでも
死に対する恐怖心は
甚だしいものでした
以来
プールは
心臓麻痺の恐れが
頭をうったら
脳内出血が
なんて
取り越し苦労が
幼い頃から
絶えませんでした
信仰の道に入ったときにも
直ぐに
自分は
殉教できるのかという
プレッシャーが
かかりました
今の統合失調症になった切っ掛けも
左翼学生の暴力に
恐れをなして
キャンパスに行くだけでも
殺されるという
被害妄想になり
発病も
自殺するのではないかという
被害妄想でした
今でも
夢の中で
死にそうになることが
ありますが
はじめは
怖いと感じるのですが
直ぐに
ああこれで
持病から解放されるという
平安感も
伴います
私は
父と同じで
業が深いので
簡単には死ねない運命
生きることの苦しみを
存分に味わわなければならない
運命だと思います
父は
今も寝たきりで
独り名古屋郊外の
病院で生きることの
苦しみを味わっています
しかし
認知症なので
苦しみという
認識がないのかも知れません
私も
今は
施設とホームで
悠々自適の日々を
送っていますが
これが
60代、70代、80代と
歳を重ねていけば
どんな苦難が
待っているかは知れません
その点
私の伯父は
90過ぎても
車の運転は
もとより
毎日
午前二時起きで
新聞配達をしていました
諸般の事情で
その伯父とは
音信不通になってしまっているのですが
その話は
もう5年くらい昔のことなので
今は健在なのかどうかも
知り得ません
ところで
驚異を感じながらも
影響が出るのかどうかは
全く興味がありません
侍ジャパンなんて
表現は
大嫌いです
はっきり言って
ヘドが出ます
私の現在
日本でいいと思うのは
ポケモンゲームと
ドラゴンズくらいかなあ
食べ物では
お寿司、お好み焼き、ぜんざい
赤だしの味噌汁、すき焼きなどなどが
好物です
案外
反日といいながらも
日本文化に
どっぷりと
浸かっている感じの
なごやんです
それでは
また
明日