歴史に審判される聖母マリア

マリア様と言えば

エスキリストを

処女降誕させた

歴史に

名を遺す

偉大なる女性ということで

一般的には

知らされています

しかし

熱狂的なクリスチャンとっては

勿論のこと

キリスト教

少しでも

信じている人にとっては

マリア様が

処女で

エスキリストを

懐妊したのは

疑いの余地もないことでしょう

しかし

科学的に考えて

性行為無しで

女性が

妊娠することなど

あり得ないことで

処女降誕は

非科学的なことです

私も

エスキリストには

父がいたと

思います

マリア様が

エスキリストを

懐妊するにあたって

その相手の男性が

誰なのか

聖書を紐解けば

それが

祭司ザカリヤであるという

手掛かりとなる

聖句があります

それは

新約聖書

ルカによる福音書

第一章三九~四二節

そのころ、マリヤは立って

大急ぎで山里へむかい

ユダの街に行き

ザカリヤの家にはいって

エリサベツにあいさつした

エリサベツが

マリヤのあいさつを聞いたとき

その子が胎内でおどった

エリサベツは聖霊に満たされ

声高く叫んで言った

あなたは女の中で

祝福されたかた

あなたの胎の実も

祝福されています

少なくとも

この時点では

マリア様は

ご自身の宿している

子供が

メシヤであること

知っていたはず

当時のユダヤ社会では

姦淫は

死刑に値するほどの

重罪でした

仮に

百歩譲って

処女降誕なんてこと

あったとしても

そんなこと

誰が信じたでしょうか

マリア様は

死を覚悟して

エスキリストを

身籠らせたんです

そんな信仰があれば

なぜ

そこまでにして

身籠った

エスキリストを

馬小屋なんかで

産んだのでしょうか

エスキリストが

生まれて

30歳になるまでの

空白の期間があります

エスキリストを

メシヤと知る

マリヤとザカリヤ

ザカリヤの妻エリサベツから

生まれた

バプテスマのヨハネなど

エスキリストを

ユダヤ教徒たちに

メシヤであると

証人にならなくては

ならない

人物が

こぞって

エスキリストを

受け入れません

エスキリストの為に

準備された

ユダヤ教

そのトップクラスの人物たちの

不信仰の故に

エスキリストは

十字架の道に

行かれたのです

本来

神の摂理通りに

ことが進んでさえいれば

十字架もキリスト教

神の摂理の予定には

なかったことです

マリヤ様は

いずれ

歴史が審判するでしょう

そして

もっと

深刻に

審判されるのは

統一教会教祖夫人

韓鶴子女史でしょう