今日
父の他界を
知らせが
弟からありました
約4年間
名古屋郊外の
病院で
寝たきりでした
私が
移ってからは
一度も
見舞いに行くことが
出来ませんでした
遺産相続について
ネットで
調べたところ
それ以前に
必要な手続きが
満載であることを
知りました
こういうことは
点でダメな
私ですが
しっかり者の
弟が
全部やってくれることになっています
さて
父のこと
話し始めたら
良いところ
悪いところ
いっぱいありますが
亡くなったばかりの
故人を
悪く言うのは
気が引けるので
今日は
父の良いところだけを
話します
まず
手先が
とても
器用だったことです
繊維関係のプロで
名古屋で
父のことを
知らない
繊維業者は
モグリだと
豪語していました
ミシン職人を
採用する時
ミシンの前に
腰掛けた姿を
見ただけで
素人か
玄人か
判別できたそうです
凄いのは
家のリホームを
一人で
やってしまうほどです
私は
とても
不器用なので
子供の頃
プラモデルを
上手に
作ることが出来る
父を
尊敬していました
それから
料理好きで
天ぷらや
串カツが
特に
美味しい料理でした
その他では
ぶり大根
いなり寿司
らっきょう
梅干しなんかも
自分で作ってました
正月のおせち料理も
健在の時は
毎年
欠かさず
作っていました
また
話し上手で
博識があって
色んな
雑学にも通じていました
例えば
株式の知識も
ありました
囲碁将棋にも
通じていて
子供の頃
学校で
負け知らずの私を
ハンディ負いながらも
完膚無きまでに
負かしていました
残念だったのは
囲碁を教えて貰えなかった
ことです
父との
接点は
数学とドラゴンズです
小学生の頃
数学では
教えてもらいました
ドラゴンズに関しては
毎晩のように
父と二人で
マイカーの中で
ラジオ中継で
試合の行方を
固唾をのみながら
聞き入っていたことが
懐かしいです
今年は
母が他界して
丁度
50年という年です
今頃
天国で
再会しているでしょうか
父の冥福を
祈りながら
今日は
終わりにしたいと思います
それでは
また
明日