私の精神病歴 結婚生活編 Part1

とりあえずは

職についている

ということで

所帯を持つことになりました

皿洗いのバイト料を

貯金していた

お蔭で

借家の

敷金礼金

払うことが出来ました

しかし

結婚生活が

想像さえしていなかったほど

厳しいものでした

家内の天職は

看護師ですが

看護師が

如何に

強い性格の持ち主であることは

東京の入院生活で

知ってはいましたが

家内は

それを更に

輪をかけたほど

強い女性でした

私は

私生活で

女性を共にすることを

知らずに育ったので

女性が

何故

ちょっとしたことで

腹を立てるのか

理解できませんでした

何とかして

なだめすかせようとしても

逆効果でした

そっと時が過ぎるのを

待てばよいということを

学んだのは

20年以上

過ぎてからでした

まあ

とにかく

叱られっぱなしでした

そんなことが

ストレスとなり

長男が誕生して

半年もしない頃

2度目の入院生活を

送ることになりました

家内を怒らせて

別れる?!なんて

言われて

それが

単なる言葉の綾と

受け止めることが出来ず

真に受けてしまったのが

入院の直接的な原因でした

さて

その入院生活は

先にも後にもない

地獄のような毎日でした

職員に逆らえば

保護室という

独房送りです

病院を批判しても

然りです

入院直前まで

通院していた

クリニックの先生に

その病院の実態を

話したら

そんなことは

ありえませんと

信じてもらえないほどでした

年末年始の外泊を

いいことに

そのまま

退院しました

長男が

まだ

1歳にも

満たないので

万が一

病気の発作で

私が暴れようものなら

家内に手に負えないので

しばらくは

父の家で

世話になることになりました

丁度その頃

阪神淡路大震災

起きた時でした

私と言えば

重度の不眠でした

今では

製造禁止となっている

ベゲタミンAという

向精神薬を6錠も

服用しないと

眠ることが

出来ない状態が

しばらく

続きました

朝起きると

ベゲタミンAの副作用で

歩行障害が

伴いました

そんなことも

ありましたが

二人目の息子が

出来た頃

家内は

放射線科の

看護師をしていたので

奇形児が

生まれるかもと

心配していました

住まいも

県営住宅に

かわりました

丁度

そんな頃

教会で

韓国の御本山で

祈祷を授かれば

どんな病気も

完治するという

役事が行われていました

それを転機として

私の精神病歴も

一変することになるのですが

それについては

明日の記事にすることにします