入院中の為
大学には
まともに
通うことが出来ません
不幸中の幸いだったのは
専門課程の初年度に
可能な限り
単位を取っていました
問題は
卒業論文です
最終的には
当時
博士課程のKさんが
全部書いて下さいました
それでも
学科の教授・助教授の前で
卒論発表というのが
あって
更には
質疑応答まで
しなくては
ならないという
関門が
待っていました
卒論の内容なんて
分かっておらず
発表しようにも
私の実力では
どうにもなりません
しかし
Kさんが
要約書まで
作成してくださいました
問題は
質疑応答です
こればかりは
さすがのKさんでも
どうすることもできません
発表会当日まで
なんども
予行演習に
Kさんが
付き合ってくださいました
結局は
それが
功を奏して
質疑応答を
突破することが出来ました
また
不思議なこともあるもので
一度も授業に出てないばかりか
試験も受けていない
単位がついたということも
ありました
それを含めて
卒業に必要な
単位を
ギリギリで
クリアすることが
できました
卒業年度に
振り分けられる
研究室が
Kさんだったということも
偶然とは
思えないような
ことです
そういうと
書き忘れていることが
ありました
それは
卒論発表会の
3日前から
無事できるなんて
思うことが出来ず
不安の極致でした
毎晩
点滴をうってもらいましたが
眠ることが出来ませんでした
卒論発表を
無事終えて
会場から出ると
出口のすぐそこに
私を心配して
Kさんが
かけつけてくださって
いました
無事終えることが
できましたと
報告するや否や
感極まって
涙の抱擁が
ありました
こんなアレンジメントが
起きたのには
若干思い当たる節が
あるにはありました
それは
高校3年の
3学期・期末テストでの
ことです
1,2学期と
物理の試験が
赤点で
3学期も
赤点間違いなしという
地元財閥の御曹司に
なりすまして
試験を受けて
単位を取らせて
あげたことくらいです
しかし
卒業できたまでは
まだ
その後
さらなる
茨の道が
待ち受けているとは
昨日までの
何も知らない私
明日からは
卒業後から
社会人になって
所帯を持つまでの
卒業後3年間編を
書き綴っていこうと思います