卒業後
2年目は
今振り返ってみても
よく
頑張ったと
自分を
自分で
褒めてやりたくなるほど
頑張りました
働けば
治るという
主治医先生の
一言を
一途に
信じたからです
皿洗いのアルバイトと
言っても
決して
半端ではありませんでした
一番厄介だったのは
グラタンの容器です
チーズが
こびりついて
簡単に
洗うことが出来ません
そればかりに
時間をかけていると
次から次へと
運ばれてくる
膨大な数の皿が
溜まってしまいます
皿だけではなく
デザート類や
飲み物のグラスなんかも
ものすごい量でした
そして
スプーン・フォークなども
洗わなくてはなりません
基本的には
食器類とお水のコップと
スプーン・フォークは
洗浄機にかけるのですが
先にも述べたように
チーズのこびりついた汚れなど
しつこい汚れは
洗浄機で
きれいにすることは出来ません
頭にくるのは
ほとんど
口もつけずに
返却されてくる
フロートのグラスです
食べないんだったら
注文するなよと
愚痴をこぼしたい
気分でした
平日でさえ
忙しいのに
土日は
さらにもっと
忙しかったです
月曜と火曜日を
休みにもらって
いましたが
それが
祝日となると
半強制的に
出勤させられました
風邪をひいて
微熱があると言っても
休ませてくれません
当時は
パワハラなんて
概念がなかったので
今から考えたら
ありえないことでした
そんな毎日に
終止符を打ったのは
家内が
所帯を持つのは
私の故郷である
名古屋にしようと
提案したからです
私としては
皿洗いのアルバイトを
辞める口実になるので
これ幸いにと
家内の提案を
受け入れました
名古屋での悪夢のような
毎日が
待ち受けていようとは
全く思ってもみませんでした
丁度
そんな頃
病院の事情に
変動がありました
まず
主治医の先生が
向精神薬を服用していることで
病院を解雇され
後釜の先生も
実家に戻ることで
病院を退職されました
そんなこともあって
仕事を強制する
存在がいなくなっていました
特筆すべきことは
仕事のストレスで
過食の毎日だったことです
休みの日は
一日中
横になっていて
運動不足の
状態が続きました
それで
挙句の果て
随分と
太ってしまいました
卒業式に着た
スーツが
着られなくなっていました
身も心も
病んでしまっていた
大学卒業後2年目です