私は大学1年の時
宗教の道に入りました
それを
父親に
こっぴどく
咎められました
学生の身分で
宗教をやるとは
とんでもないこと
学生は
勉学を第一とすべきだという
私は
今、それを
痛感しています
宗教をしながらでも
勉強しようと思えば
出来なかったわけではありません
例えば
先輩のN氏は
国立大学の教授に
なっておられます
語学も堪能で
いらっしゃいます
私が
大学時代に得た
知識と言えば
数学のε-δ論法と
フランス語の片言挨拶と
韓国語の日常会話くらいです
これくらいならば
大学卒でなくても
ネットで勉強できます
宗教活動に
日々が過ぎていく
大学時代でした
夏休みをはじめとする
長期休暇の時は
経済活動が
強いられました
勿論
対外的には
個々人の自由意志の下に
行われているとされます
しかし
信仰の教理で
その経済活動は
免罪符的な
位置づけされているので
やらなければ
救いを受けられないと
戒められているので
否応なしに
することになっています
今考えると
馬鹿みたいですが
しかし
経済活動
たとえば
珍味の訪問販売なんかでは
恥も外聞も捨て去ることを
学んで
忘れ去ってしまった
英語でも
ガイジンさんと
おしゃべりすることが
出来るようになりました
だから
大学で宗教に
ハマったことは
悪いことだけでは
なかったので
後悔はしていません
ただ
宗教していても
勉強しようと思えば
勉強できたのに
勉強しなかったのは
残念でなりません
宗教の教えに
圧倒されて
学問全般が
価値なき物に
思われたのは
私の驕りでしょう
教祖様の側近の方が
風邪をひきました
どうすればいいでしょうと
尋ねたら
薬でも飲んだらと
諭されたそうです
薬が信仰に優ることも
あるということですね
宗教にはまれば
はまるほど
他の話が
聞こえなくなります
私は
そういうことを
価値観の問題だと
父親に
力説しますが
価値観なんて
一番愚かな人間の
言うことだと
一蹴されました
宗教していても
食べて生きていかなくては
ならないから
というのが
父親の考え方です
私は
それも一つの価値観だと
反論しますが
通じません
おまえは
カスミを食べて
生きていくつもりかと
バブル絶頂期くらいまでは
教会に献身すれば
衣食住は保証されることになっていました
それが
突然
教祖様の指示で
自力の生活を
しなくてはならないことになりました
そして
その時、私は
入院中でした
退院する頃には
バブルがはじけて
就職難になり
夢にさえ思わなかった
時代がやって来ました
結婚できたのも
今から思えば
奇跡的なことです
そして
離婚も
全く想定外のことでした
しかし
今が
一番幸せな毎日なのかも
知れません
衣食住が
施設とホームと生保で
保証されているからです
宗教も
病気を言い訳にして
適当に済ませています
さて
今日の眼科受診の結果報告です
緑内障予備群
視野の損傷は
確認できないながら
特に右の目が
緑内障に発展しても
不思議ではないくらい
視神経がおかされているとのこと
でも
眼圧は
左目より
右目の方が
低いのです
そう言えば
私の父が
緑内障であると診断するのは
難しくないが
緑内障ではないと
診断するのは
難しいみたいなこと
言ってたのを思い出しました
価値観の問題として
もっと
フランクな話を
書くつもりでしたが
それは明日にします
知らず知らず
コンビニは
数学は
今日も私のブログは
長文乱文に
なってしまいました
最後まで
お付き合い下さいまして
ありがとうございました
それでは
また
明日