新婚ホヤホヤじゃなくて、離婚ホヤホヤ

離婚して

今年で

三年目になります

デイサービスの女性主任も

バツイチですが

離婚されて

もう19年になるそうです

お子さんが

まだ4歳の頃の話だそうです

子供は

見てないようで

見ているもので

私たち夫婦の場合

喧嘩している思い出しかないと

次男のやっちゃんは

言います

主任さんも

一度だけ

お子さんのいる前で

ご主人様と

大喧嘩したこと

今でも

お子さんから

指摘されるそうです

また

離婚したての頃は

ご主人様の夢を

よく見られたそうです

私も

別れてから

何度

家内の夢を見たことでしょうか

主任さんが

仰るには

私の家内も

私のこと

夢で見ているはずと

断言されます

それ

本当だったら

嬉しいのですが

果たして

そうでしょうか

私としては

考えにくいことです

さて

復縁することが

可能として

今の自分に

その道を選択することが

あるでしょうか

愛を選ぶか

自由を選ぶかの

選択です

愛は自由に劣るものでしょうか

愛は勝つとも言いますね

信じること

希望

この中で

一番は

愛であるという

バイブルの教えがあります

更に

尊いものは

血統だと

私の教祖様は

仰いました

その教え自体が

教祖様婦人の

韓氏お母様が

主張されている

独生子であるキリストと

対等な立場であるとする

独生女という

概念自体

誤りだといえます

更には

キリストにも優ると

さえ

断言されました

そんな韓氏お母様に

従っている

家庭連合の信者さんたちを

どうすることができるでしょうか

信仰は

家内任せで

日曜礼拝さえ

参加しないで

自分勝手していた故に

まさか

韓氏お母様が

そんなこと仰っているなんて

知らぬが仏でした

韓氏お母様を

否定する

七男様が創設された

サンクチュアリ教会に

私が寝返ったことが

家内との離婚の

直接の原因です

しかし

それは

家内にとって

離婚する絶好の言い訳が

できたのであり

元々

二言目には

離婚の二文字を

チラつかせていた

家内には

願ってもないことだったのです

そうでなくても

家庭内別居状態が

何年も続いていたので

遅かれ早かれ

離婚は

必然的だったと思います

結局のところ

愛よりも

自由を

求めたと言うことです

結婚に自由が

あるのならば

責任があるというのならば

自由があって

しかるべきなので

離婚するのも

自由ですが

その結果については

責任を負わなければなりません

息子二人が

社会的に自立してくれたので

親としての一応の責任は

果たしたので

家内も離婚に踏み切れたのだと思います

しかし

離婚する

つい三ヶ月前には

夫婦二人きりで

温泉旅行にでかけているので

本当に愛が冷めていたのなら

何故

そんなことしたのだろうか

という疑問が残ります

家内は

それを

愛する努力だったと

言います

私には

その言葉

信じられません

30年間

付き合っても

家内の本音

分かったようで

分からないまま

ピリオドを

打つことになりました

彼女が私にくれたのは

未練、ミレン、み・れ・ん

です

ああ、重たくなってきました

明日は

予定は

未定の日曜日

のんびり過ごすことにしましょう

では

サヨウナラ